SFC OBだより

#11 澤井光太【24期】

#11 澤井光太【24期】

こんにちは。SFC24期生の澤井光太です。皆さんご存知の澤井コーチの次男です。僕は22歳で渡米し、現在はアメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルスに生活の拠点を置いています。既に在住9年が経ちました。アメリカでは、飲食業を生業としています。渡米後、料理の道に入り、4年後には日本の某大手エンターテインメント企業から声をかけて頂き、アメリカ本社の立ち上げ、そしてレストランの立ち上げに携わりました。現在はその会社を退職し、日系スーパーマーケットの外食事業部に勤めております。現地の方々へ日本食や美味しいご飯を広めることを念頭に、カリフォルニア州に10店舗ある内の4店舗分のスタッフ育成と料理開発をしています。さて本題ですが、今回、藤井コーチよりこのコラムの依頼を受けました。僕自信、こうやってSFCを卒業し、日本からも離れた中で頂けた連絡がとても嬉しく、快く引き受けさせて頂きました。僕は、幼稚園の頃から高校卒業までの14年間をSFCで過ごした生粋のSFCっ子です。ちなみに、14年間でAチームに入れたことは1度もなかったですね。笑ただただ、サッカーが大好きでした。サッカーと同様に一緒に練習する仲間と先輩、そしてコーチ陣が大好きで、14年間があっという間に感じています。変な話”もしかするとサッカーよりも先輩や同期と一緒に過ごす為に練習にいっていたかもしれません。。笑SFCの魅力。それは”絆”この一言に尽きると僕は思います。アメリカに住み始めた時、とにかく寂しかったです。毎日SFCのみんなと騒いでいた写真を見返していました。笑全員進んだ道は違いますが、迷った時、決断する時、自分自身に支えがあることは物凄い強みです。失敗しても、なんとかなる!帰る場所はある!と思うと、自ずと自分の選択にも自信が持てて、より一層頑張らなきゃ!!と奮い立たせられます。正直、現役時代のことを思い出すと、”苦しい””辛い”と思うことの方が多かったかなと思います。練習はとにかく辛かったです。特に夏合宿は地獄だと思ってました。クロカンとゴール&ゴールはやばくないですか??あんな真夏に人間がやっていい走り込みではないと今でも思います。笑ただ、あの合宿は本当に”絆”が作られますし、チームも保護者の方々も含めて一体感が生まれる大切な行事でした。苦しい練習があればあるだけ、それは自分の記憶に刷り込まれていきました。試合の結果や、誰が得点を決めたとか正直、全く覚えていません。笑 あの大会はこうだったな、、とか1ミリも記憶にないです。僕が覚えているのは、特に辛い練習の風景とみんなの辛い顔です。SFCでの経験と言いますか、SFCで得た物が今の自分を支えてくれていることは言うまでもありません。14年間という年月を費やし、築き上げられた関係や繋がりは宝物になりました。サッカーの技術も大切ですよね。でもそれ以上に大切なものを与えてくれた場所がSFCでした。SFCは最高です。僕は、サッカーにおいて1度もAチームに入れませんでした。その悔しい思いが、仕事では必ず結果を出して必要不可欠な存在になってやろうという気持ちに繋がっているのは事実です。Bチームの選手達って意外と根性あると思います。笑下手くそと言われながらも、サッカーを続けることができるのはある意味、精神的にタフなんじゃないかって思う時があります。9年前、初めて渡米し今に至るまで、とにかく必死に料理の腕を磨いてきました。何度も挫けそうになりましたが、アメリカに残り、今は結婚し、永住権を3年前に取得。今後もアメリカを基盤に生活を続け、料理教室などの個人ビジネスやビジネスパートナーとのグローバル的なフードデリバリーサービスの開始も考えております。その際は告知させてください。笑最後になりますが、僕は、父親が世界で1番格好良い人で一生の憧れでもあります。笑そんな親父が作ったこのSFCというチームが今後も益々飛躍していき、より一層愛され続けるチームになっていくことを願っています!ありがとうございました!  
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#4 小川潤之助【32期生】

#4 小川潤之助【32期生】

2002年か2003年辺りにたかはら公園で始まったひとりの男のサッカー人生。杉並FCでは歳を重ねながら全てのカテゴリに身を置かせてもらった。そしてつい最近、大学を卒業して選手人生をひと段落させた身としてひとつ言えることがある。『ガキ大将がサッカーを通して成長した先には、少し大きくなったガキ大将がいる』 ガキ大将 物語〜SEASON 1〜 ご立派にSEASON 1 などと銘打ったが、記憶が曖昧な期間を全てまとめただけだ。2はない。幼稚園くらいから小4までまとめてお送りする。たかはら公園や桃三小(元 桃花小)、杉三での練習にいけば楽しいことが起こる、友達に会えるの一心で通っていたことを覚えている。 球遊びからサッカーに変わった日 今でも覚えている。小学5年の夏、杉十でのさわやかカップ。GKだった自分を始め、同期の数人がひとつ上の学年の大会に呼ばれて出場。そして宿敵 杉並シーダーズ相手に終了間際の同点弾、PK勝ち。ガキ大将 は 勝つこと を おぼえたそこから自分のサッカー人生がリスタートした。試合には勝ち負けがあり、勝ったら嬉しい。ガキ大将の必須スキルである負けず嫌いに火がついた。勝ちたいよりも、負けたくない。まあその後の都大会では手も足も出ずに5失点して初戦敗退。そしてボロ泣き。決してサッカーは上手くなく、背がすこし高いだけのGKは杉並FCの選手としてのスタートを切った。振り返ると自分にとってSFCはいちばんの居場所だった。厳密に言えば同い年のみんなと練習のない日も和田北とか杉十でボールを蹴っていた。中学の時には成績も奮わず授業も寝てばっかりの僕を見かねて母に対して担任が「小川くんはサッカーまでの暇つぶしに学校に来ていますか?」と言い放った。しかしモンスターハンター2nd Gが大流行した時だけはボールが友達ではなくなり、風間、横川を始めとする廃人たちは練習後もひたすらPSPと向き合っていた。 SFCとサッカーと夏合宿 そしてSFCといえば夏の合宿。クロカン、ゴール&ゴール、大成荘、山中湖…いつになっても忘れない「タッチライン並べ〜」それに加えてGKは砂利まじりのグラウンドで死ぬほど横っ飛びにうさぎ跳び。中学2年の時だったと思うが、キツいメニューを課す村田コーチを本気で嫌いになったのを覚えている。(ピッチ上だけ)"楽しい"の代名詞である夏が来るたびに憂鬱になった。人生で唯一ブルーになる瞬間。それでも毎年2泊3日をやり切った。毎朝ウルトラスーパーリズムダンスを死ぬほど踊り、ミックスベジタブルを押し付けあい、昼寝の時間で爆睡、そして夜はおおはしゃぎ。寝ろよ。そんなこんなで最終日、本当に人が変わるやつがいる。初日とは目つきが変わり、バカでかい声を出す。理不尽にも非効率にも思えたあの環境は確実に選手を成長させていた。自分もその中のひとりだ。夏合宿で培った自分に負けない心、スイッチのオンオフ、仲間を想う気持ち、クロカンのときにバレずにコーンの内側を通る走り方など、全てが今の生活に繋がっている。 チーム コーチ 仲間 SFCイズム。自分が選手だった頃に何度か聞いた言葉。言葉では言い表せないけれども確かに今も心の中にある気がする。思い出されるのはジュニアユース時代。府中の森公園でのことだ。登場人物は村田コーチと風間くんだ。風間くんは長年のよしみで実名でお送りする。話は風間くん何かをしたことから始まる。はっきり言うが覚えていない。何かをしなかったのかもしれない。要はそのことに対して村田コーチがブチギレていたのだ。必要以上に。とにかく怒り散らかしていたのを今でも覚えている。その時に言っていたのが「それはSFCイズムに外れるだろ」のセリフ。当時は意味がわからない。視点が自分中心だった僕らはなんか怒ってるねと思っていたが、今考えると大好きなSFCへのリスペクトと、間違った道を歩いた教え子に対しての愛だったのかなと思う。卒団して思ったが、やはりどこに行ってもSFCの今が気になるし心の中では応援している。自分に負けそうになるときは夏合宿を思い出す。大学ではしつこく杉並FCの認知度を上げた。杉並FCってどこ?って言われるのが悔しかった。あの小川がいたチームなんだから凄いに決まっていると思わせたかった。 SFCイズムは誰が教える訳でもなく、教えられる訳でもなく。今を全力で生きる選手には勝手に芽生えていくものじゃないかなと。まあでも当時の村田コーチはそんな大層なことは考えていなかったと思う。ただのブチギレ。 公式戦とGK ジュニアユース初の公式戦は忘れない。結果からいうとGKなのに途中交代。そう、やらかしたのだ。自分の中学時代はボテボテトンネルから始まった。以来ミスするたびに、この試合よりは良いと思える精神安定剤になっている。当時は公式戦と練習試合の区別もなく、ただみんなの雰囲気でマジな試合か、何本もやる試合なのかを判断していた。余談だが自分たちの代はGKをほぼ自分1人で担っており、10時〜16時まで練習試合に出続けると言ったこともザラにあった。毎週経験値が溜まる。つよいポケモン倒した時くらい。1人で試合に出続けると自然と責任感が湧く。しかしここはガキ大将、とにかく上手くいかないと怒る、GKなのに指示はせず怒鳴る。いつか、FC東京むさしと試合をした時。やはり強いチームであるため上手くいかない。前半にキレ散らかす自分。そのハーフタイムにかけられた「お前だけのチームじゃない」という言葉を今でも鮮明に覚えている。そこから責任感のベクトルが戻り始めた。 SFCとは チームだ。街クラブ。それ以上でもそれ以下でもない。でもたとえ今SFCに関わる全ての人がいなくなったとしても、自分はSFCと名乗り続ける。だからなんだと思わないでほしい。SFCは人と人とで繋がっているチームだ。大量の資金がある訳でもなく、SFCを卒団した先輩がコーチとしてSFCイズムを還元する。登戸グランドも人の繋がりでの実現と聞いている。自分も直接は関われなくなってしまったが、逐一試合結果を見たり、心の中で応援している。お世話になったコーチ陣や親御さん、先輩方も読まれるコラムで偉そうに拙い文章を書き連ねたが、自分はSFCが好きだ。今のこの厳しい状況でもTwitterなどを通して、関わる人全てで活動を続けている姿も、その中でも楽しくやっていく姿も自分の記憶にあるSFCのままであった。これを乗り越えてまた皆で笑い合える日はそう遠くないと願っています。結局内容のないコラムになってしまったが、後輩たちには練習が無くても杉十や和田北で集まれる仲間を大切に、今を全力で生きていってほしいです。長々読んで頂きありがとうございました。
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