#10 岡宮智子【元SFC会長/初代NPO理事長】
会長及びNPO理事長を歴任した岡宮智子です。
まずは、今回の新型コロナウィルスにより活動を制限されているSFCの為に支援プロジェクトを立ち上げ、支援を呼び掛けて下さったOBの皆様に感謝いたします。
困った時に力になってくださるのはやはりOBの皆様というのは、40年間変わらないSFCの素晴らしさですね。
SFCとは26年前に年長で息子が入会してからのおつきあいになります。当時は会員数600名以上で、入会説明会に出席してないとすぐには入会出来ず、順番待ちが10名以上いました。説明会に出席されていた中川コーチは大学生、嶋崎コーチはまだ高校生で初々しかったです!アシストもまだ設立されていませんでした。
入会初年度に出席した母の会総会は舞台のある立派な会場で開催され、壇上には役員の方々が並び、まるで企業の総会みたいで規模の大きさに大変驚きました。
入会1年後に15周年となり、YASUDAのくつ袋を記念品としてもらいました。今でも我が家に残ってますが…(最近YASUDAの靴が復活したそうです)
当時は毎週の試合や練習の中止,変更等は家の電話のみの連絡網だったので大変でした。携帯電話もまだ普及してなく、確実に全員に回せないという理由でFAXも禁止でした。(FAXが認められたのは数年後です)
運営委員や試合、合宿の付き添いでは普段の生活で見られない子ども達の頑張る姿、特に山中湖合宿でのクロカン等で感動しました。
運営に関わるようになったのは、息子が小3の時、馬橋小のグランド担当になってからです。その後会計監査で役員となり、会計をやった後息子が中2の時に会長となりました。
会計の時にスポーツ少年団の代表職もまかされました。本来会長がやる役職ですが、当時の木村会長が任期満了で交代する時、会長職の負担軽減のため少年団の代表を引き受けて欲しいと依頼され、以来現在にいたるまで、現役の会長の負担が減ればと少年団の代表をしています。
現役在籍中にユースや女小、女中のチームがたちあげられ、会員数の減少により幼稚園も年少から入会出来るようになりました。
会長時代は合宿所のボヤ騒ぎや救急車事件等で何度も山中湖へ急行しましたが、今となってはそれも楽しい思い出です!(^^)!
NPO法人となったのは、当時区の公園を無許可で使用する団体がいた為、営利を目的とするスポーツ団体には使用させないという話が出て来ました。会費をとって活動するSFCも営利団体とみなされ、たかはら公園や和田北公園の使用を今後検討すると言われ、何度も公園課と話し合いをしました。
署名運動もしましたが、最終的にはSFCOBの保護者様等のお口添えで当時の山田区長と話し合いの場が持て、区長より非営利団体を証明するためNPO法人にすればとの助言をいただきました。
杉並区のサッカー大会に関連のあった区議会議長が公園課にとりなしてくださり、平成15年にNPOを立ち上げ無事公園の継続使用が出来るようになりました。
これもOB保護者の方々の協力のお陰と感謝しております。
NPO法人として毎月の「親子サッカー教室」や区と地域団体との協働事業「子ども・子育てメッセ」に協力し、実行委員会のメンバーとして地域へ貢献をしています。
またNPO事業の一環として、NPO設立1周年記念に1回、翌年には現なでしこJAPAN監督の高倉麻子氏を招聘して女子サッカー講習会を開催しました。
またTOTOの助成金を申請してヴェルディの選手によるサッカー講習会を開催し、ゲストとしてフリースタイルフットボールの第一人者【球舞】のメンバーにパフォーマンスを披露していただきました。
息子は年長で入団してから中3で卒団するまでの10年間SFCでお世話になりました。メンバーに恵まれ常に都大会に進出し、小5では都3位、少年団大会は優勝、そして中3のクラブユース大会では関東大会に出場する事が出来ました。(関東大会出場記念で寄付金をいただき、公式ユニフォームを新調し、中3保護者で横断幕を作成しました。)対戦相手には元ヴェルディの森本君や当時FC東京で現日本代表GKの権田君がいました。
彼らの活躍を見てると当時が懐かしく思い出されます。SFCからFC東京ユースに入った恩田君に「中学の都大会で戦った相手でSFCが一番手ごわかった」と権田君が言っくれたと聞いた時にはとても嬉しく思いました。
卒団後は専大付属、専大サッカー部でサッカーを続けましたが、そこでSFCで都大会に出場した時に対戦した相手メンバーと同僚となり、当時の話で盛り上がったようです。社会人になった現在も社会人リーグのチームで頑張っています。
娘も中学になった時に女子中が出来たので入会しました。卒団後高校時代は立川コーチ、こよみコーチのアシスタントとして、女子小の指導に加わったり(ボスコーチとも言われてたようですが…)、夏合宿では宿ねえとしてお手伝いをしていました。
女子チームの仲間達とは今でもSNSを通して交流が続いているようです。
30周年を区切りに表に立つ仕事からは退きましたが、メッセやスポーツ少年団の代表としてSFCと関わらせていただいてます。
26年間SFCと関わり、学校や地域を超えてたくさんの方に出会えた事は私にとって大切な財産だと思っています。これからもSFCを陰で支えていければと思っています。
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