#2 新川英幸【22期生】
私は2000年4月に、桃井第一小学校でチームメイトだった千葉ちゃん(シェフ)と長町(消息不明)とともにSFCに入団した。最初の思い出は小学校6年生の終わり。馬橋小の体験練習に初参加したときのこと。ゴールキーパーだった私は1コ上の道解兄弟の強烈なシュートを至近距離から浴びて怯んだことをよく覚えている。
澤井さんは「キャッチしろ!!」と叫ぶが、初めての5号球、中学生の筋力を身に着けた先輩方の容赦ない弾丸シュート、無茶言うな。結局一球もキャッチできず、真っ赤に腫れ上がった手で自転車のハンドルを握り帰路についた。かくして、SFCでのサッカー生活がスタートしたわけだが、思春期真っただ中の中学生にはいろいろある。大学生だった樋口コーチから、当時最先端の性に関する教育を受けたおかげで今日の私があるといっても過言ではない。
ゴールキーパーからフィールドプレイヤーへ
中学の3年間は体が大きくなる時期だが、私の場合、小学生の頃に体が出来上がってしまい、中学1年になってからは全く身長が伸びなかった。ポジションはゴールキーパー。同期には他に3人ゴールキーパーがいたが、ほかのやつらはどんどんでかくなる。(特に笹谷)夏の合宿が終わったころから悩み始めた。キーパーとしてやってくのは無理じゃないかと。だがしかし、小学4年生からずっとゴールキーパーで、足元の技術は全くない。(足元の技術がないからGKだったわけだ。)リフティングは10回がやっとというレベル。(今でも30回)GKからフィールドプレーヤーへのコンバート。何度も頭をよぎるが決断できない。フィールド⇒GKへのコンバートはあってもGK⇒フィールドのコンバートなんて聞いたことがないし、そもそもサッカーがくそ下手だったから自信がなかった。決断できないままモヤモヤと悩む日々が続いた。秋が終わり本格的な冬が迫っていたある日、松ノ木中での練習終わりに澤井さんに呼び止められた。「ひで、キーパーは卒業してフィールドやるか?」
この澤井さんの一言で葛藤から解き放たれた。この一言が無ければ私のサッカー人生は中学生で終わっていたかもしれない。(本当はFWがやりたかったけど)DFとしての新たなサッカー人生がスタートした。気合と根性で食らいつき、足の速さとスライディングを武器に何とか試合に出ることもできた。「サッカー下手」を受け入れて、とにかく練習したという記憶がある。学校から帰ると上井草スポーツセンターに行き、山岸(靴屋の店長)や千葉ちゃん、長町と一緒にボールを蹴った。練習が中止なった雨の日も、雪が降った日も一緒にボールを蹴った。いい思い出だ。勉強した記憶がないのは仲間とサッカーボールを蹴りあった思い出で脳みそがいっぱいだからだと思う。
私達が特別だった理由
忘れられないエピソードがもう一つ。我々の代にはスパースターがいなかった。飛びぬけた選手はいない、でもそれなりに強いチームとも互角以上に戦えた。戦術理解度は高かったと思う。守備に徹することができるチームでもあった。攻撃は破壊力はなくても組織的。良く言いすぎたが、なんといっても一番の武器は結束力だった。チーム一丸となって戦う。絶対にあきらめない。ほかの代にはない、特別な強さだった。そんな強さのきっかけはチームメイトの死だった。小児がんに侵されながら、回復と治療を繰り返し、崇平はピッチに立ち続けたが、中学2年生の冬、たくさんの仲間に囲まれながらこの世を去った。崇平が愛用したバンダナをもらい、手作りのキャプテンマークを作って大会に臨んだ。最後の大会は三菱養和に0-3(高円宮杯東京都ベスト6)で敗れたのだが、崇平とともに最後まで戦い抜いたことが誇らしかった。卒団後も鈴木家との交流は続いている。命日の2月21日前後には崇平の友人が鈴木家に集まり、思い出話に花を咲かせている。不思議な縁だが、これからも続いてほしいと思う。同期のみんな!たまには線香あげに行ってこい!!
卒業生から後輩たちへ
SFC卒団後の私は実践学園高等学校に進学しサッカー部に所属、さらに専修大学に進学し体育会サッカー部に所属。下手なりに頑張り、サッカーで進学することができ(勉強では進学できなかったが正しい)、それぞれのカテゴリーで素晴らしい仲間に出会い、学生生活を謳歌した。大学卒業後は重工系メーカーの子会社に就職(これもサッカー関係者の縁)し、営業活動の企画や戦略立案を担当している。振り返ってみれば今の生活があるのはすべてサッカーのおかげ。学生諸君、勉強しなくていいという意味ではないぞ。サッカーを通じて組織的な行動や、相手を思いやる気持ち、リーダーシップなど、社会に出て役立つスキルを学ぶことができるが、中学生レベルの数学、国語、地理、歴史を知らないと、だれにも相手にされないからな。
それに頭が悪いとモテないぜ。(経験談) サッカーを通じて出会った仲間や指導してくださった方々のおかげで今がある。一緒にボールを追いかけた仲間たち、澤井さんをはじめとしたコーチの皆様に心から感謝。もちろん樋口コーチにも。
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